沿革

京阪電気鉄道は北大阪電鉄の買収に端を発し、淀川西岸に天神橋〜京阪京都に十三〜千里山・桂〜嵐山の

支線を持つ新京阪鉄道を開業させた。軌道法の京阪電気鉄道に対して新京阪鉄道は高速運転前提の

地方鉄道法で建設された。考え方によっては日本初の新幹線とも言えよう。この新京阪鉄道を名古屋の熱田まで

延伸し他社と直通、東は豊橋、西は姫路まで至ろうとした計画が名古屋急行電鉄である。しかし世界恐慌の

影響で新京阪はおろか、本体の京阪までも経営が危うくなり合併、新京阪鉄道は京阪電気鉄道新京阪線となる。

また太平洋戦争開戦による戦時合併で京阪・新京阪・阪神急行が京阪神急行となった後

戦後の解体で地理・経済的条件から新京阪が阪急に引き取られ、名古屋急行という言葉は闇に消えた。

 

京津急行電気軌道ではこの遺志を勝手に受け継ぎ、名古屋急行電鉄計画という会社に仕立てた。

業務は新京阪鉄道奪還の為の企画・立案。京阪・阪急にとって迷惑以外の何ものでもなかろう。

しかし奪還には多額の資金が必要だと判断。資金が貯まるまで会社を休眠させておくのも難だと

鉄道車両開発の会社として再スタートをさせた。社名は元々の目的を「忘れない」為に変えていない。

 

自社所有車両 京阪特急3代 Mc103京葉線 営団1000&500 遠州鉄道2000系 伊予鉄道2100形
  鹿児島市交1000形 京急800形      
譲渡車 西武新2000系 東武8000系 EF64−1000 京急新1000形 京急1500形
  南部縦貫鉄道キハ10 長野電鉄OS10      

 

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