2008.7.16

信楽高原鉄道に乗りました。
国鉄信楽線の面影が残る貴生川駅構内。

信楽焼陶器を輸送する目的で1933年、国鉄信楽線として開業(貴生川〜信楽)。

1943年10月、レール・枕木供出の為に休止になるが1947年7月に復活。

1981年9月、特定地方交通線に指定、廃止対象となるが

1987年7月13日、自治体・企業による第三セクター「信楽高原鉄道」として存続。

正面衝突事故以来、全線一閉そくとした。貴生川駅構内「信楽出発信号機」は、全て横を向けられていた。

1991年5月14日、「世界陶芸祭」の為に乗り入れた下りJR臨時列車と信楽高原鉄道上り列車が

小野谷信号所〜紫香楽宮跡で正面衝突、42名の死者を出す惨事となった。

運転再開は1991年12月8日であった。

SKR301・万が一、事故があっても旅客の命を奪わないようにと
信楽高原鉄道事故の被害者遺族が提案した「安全車両」第1号。
SKR205・正面衝突事故後、補充用に作られたLE-car。

信楽駅構内には、事故を伝える「セーフティーしがらき」というコーナーがある。

信楽駅構内、手頃な大きさの検車庫。

 

信楽駅前、手頃な大きさのバス営業所。

 

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